2021年10月24日(日)14:00~15:30「秋の文化活動」報告
2021年「秋の文化活動」は昨年に続きZoomを使った90分間のオンライン交流会だった。39名の参加を得て、2つの講演とグループに分かれての親睦会を楽しんだ。参加者からお寄せいただいた声のごく一部は後ほどご紹介させて貰うことにし、まずは講演の概要を。
【モザイク模様のモザンビーク】NMさん
青年海外協力隊の隊員採用試験に合格しH17,18年、モザンビークに数学教師として派遣された。モザンビークはアフリカ南東部に位置し、日本の2倍の国土に約3000万人の国民がいる。多民族多宗教で、独立戦争を経て1975年、ポルトガルから独立した。従って公用語はポルトガル語。今も内戦が続くため、平均余命、教育、収入などを総合的に勘案した国連の「人間開発指標」は189カ国のうち180位。街で一番気を付けなければならないのは不良警官。看護師から革命運動家を経て初代大統領になったサモラ・マシェルは、飛行機事故で亡くなったが、暗殺説もある。夫人のグラサはその後南アフリカの大統領ネルソン・マンデラと再婚し話題となった。2つの国で大統領夫人となったのは今も彼女だけだそうだ。
料理はインド系トマトシチューのようなもののほか、様々な葉を使った料理がいろいろある。芋虫の素揚げなど昆虫類の料理は豊富で、ネズミもよく食べる。
交通手段として日本の中古車が人気で、8人乗りのバンに20人、30人、詰め込む。
喪服は裕福なキリスト教徒は黒、土着宗教の信徒は白、カプラナというカラフルな伝統衣装は正装として冠婚葬祭いつでも着られる。
街はどこを歩いてもゴミの山だらけ。臭いだけでなく、化学反応で自然発火することも多い。干ばつ、洪水も繰り返し起きる。集中豪雨でゴミの山が押し流され、知り合い5人が全滅したこともあった。でも、直ぐにまたゴミが運び込まれ、山ができる。ペットボトル、空き瓶は貴重品で人気だ。水、油、ヨーグルト、ガソリンなどを入れて売っている。
黒魔術というか、民間療法が盛んで、サルの頭蓋骨の粉末を飲むと、ダンスやサッカーがうまくなるそうだ。ただ、まじないの薬にするため、アルビノの子を殺す地方もある。
学校の教室は、日本と同じくらいの広さで1クラスぎゅう詰めの80人前後。就学率は小学校85%、中学校40%。授業内容には疑問を感じることが多かった。数字は1から5までで、6は5+1と教えていた。物はしょっちゅうなくなる。黒板けしがなくなる。
早い初産のためか、性教育は行き届いている。エイズ感染率は20%だが、エイズキャラバン隊の検査には人の長い列ができ、キオスクでコンドームやフェニドームを売っている。出産を済ませた生徒は学業に戻る。毛がチリチリなので直毛に憧れるのか、女性は売ってくれとせがみ、男性は求婚してくる。小人症、くる病、アルビノの人たちも健常者と一緒に活発に働いているのはとてもいい。
最後に、挨拶の言葉を2つ、ご紹介させていただき、お話を終えたい。「ありがとう」は「カニマンボー」、「こんにちは」は「リシーレ」。カニマンボー!
⁂モザンビークの強烈な個性をモザイク模様に例え、ショートムービーや、写真、クイズも交えたお話でモザンビークという国が急に身近な存在となった気がした。
【400年続く南房総の捕鯨】MSさん
テニスとダンスに明け暮れた大学を卒業後、会社勤めを少しして結婚、郷里に戻った。婚家は捕鯨会社を営んでいる。南房総のツチクジラ漁は江戸時代初期の1612年、安房郡勝山村の醍醐家が船団を組織化、江戸湾(東京湾)でツチクジラを取り始めて大きく発展した。鯨組が捕獲、出刃組が解体。
“クジラ一頭七浦潤う”と言われたが、明治42年、捕鯨法によって洋式沿岸捕鯨が禁止となり衰退。現在は祖父が昭和23年に設立した外房捕鯨会社のみが房州捕鯨を継承している。
ちなみに今は和歌山県太地町、宮城県石巻市鮎川、北海道網走市の3か所しか、捕鯨地は国内に残っていない。
捕鯨は6月末~8月30日まで26頭を捕獲する。昨年(2020年)は天候不順で8頭の捕獲に終わった。なお、体長4メートル以上をクジラ、4メートル未満をイルカという。
ツチクジラは水深1000~3000mを群で回遊しているが、音に敏感で一度潜ると1時間くらい出てこない。それで1日中群れを探し、浮上地点を予測して見張る。
捕獲したクジラは舟の腹に抱き、海水につけたまま慎重にゆっくり入港、水を撒きながらウインチで木製床(大きなまな板)の解体場まで運ぶ。その際、水産庁の調査員が解体前に1頭ずつ 体長、性別、年齢、皮下脂肪の厚さ、胃の内容物を調査する。
解体は、まず分厚い脂肪層の皮を薙刀のような大包丁で剥ぎ、背骨から裁割してゆく。人が持てる大きさに切って、筋を取る。血と油でギトギトの中、刃をプロたちがそれぞれのマイ砥石で研ぎながら進める3時間にわたる作業は見事だ。肉は現場で、加工業者、鮮魚店、地元の方々に直売している。房総ではクジラの皮を食べる習慣がなく、皮は塩蔵して東北、北陸へ送る。クジラ汁は、夏の滋養食として各地で食べられている。
この22年間、初漁祭と称して地元の小学生に一頭目の鯨の解体見学を毎年実施している。南房総市の「房総学」の授業の一環として、児童に地域の産業、仕事を体感してもらう。クジラという生き物の現物に触れ、食べ物になるまでの過程を見て、その命をいただくという食育の一環だ。学期に一度はクジラの龍田揚げ給食がある。子どもたちの心に外海の風や匂い、音、クジラにさわった感触、クジラカツの味、それらを通しての故郷への思い、地元への誇りが心の片隅に残ればと思い、できるかぎり続けるつもりだ。
終了後 たくさんの感想をいただいた。
・講演はともに日ごろ見聞できない内容でとても興味深かった
・広い世界、深い歴史、そして今の日本を考えるひととき、参加してよかった。
など、同窓生の活躍を喜ぶ声も多数寄せられた。また、
・7つのグループに分かれての懇親会も楽しかった。
・時間がもっと欲しかった。
という意見を多数頂戴した。ZOOMゆえに高齢の方や遠方の方が参加され、ITの威力を感じた日でもあった。 (文責 MS)