2022.7.20

 茗渓会(旧師範学校~現筑波大の同窓会)式典にて    

前号でお話しした「茗渓創基150年記念式典」(7月9日)が茗渓会館で盛大に行われ、桜蔭会も出席してまいりました。そして、“兄弟同窓会”である茗渓会について、いくつかの新たな事実を知ることができました。あくまでも私が知らなかっただけで皆様はとっくにご存じかもしれませんね。

1,まずこの式典のネーミングですが「茗渓会創立150年」ではなく「茗渓創基150年」なのはなぜか?

実は茗渓会ができたのは1882年(明治15年)、引き算すると今年で140年です。「?」ですよね。それはおおもとの「師範学校」が創設されたのが1872年でそこから数えているから150年なんですね。(我々桜蔭会は、“母校創基”のような発想はちょっとしないですね。大学創立は大学で、桜蔭会創立は桜蔭会で、です。)

それはいいとして、では「茗渓」のほうは?そんな創設と同時に同窓会ってできるものでしょうか?

2,「茗渓」というのは茗荷が沢山生えてる谷(=茗荷谷)を略して少し厳めしく言ったのだろう、と思い込んでいたのですが(私と、友人数名)、全然違っていました。実は「師範学校」が創設された場所は湯島聖堂で、現在の「御茶の水」にあたるのです。「茗」は“茶”のことで、「茗渓」とは“お茶の水”ということらしいのです???

慌てて国語辞典や漢和辞典を引いてみると

めいけい【茗渓】(「茗」は茶の意)東京都文京区湯島付近を流れる神田川(お茶の水)の雅称。(『日本国語大辞典』)

正確に言うと、新茶は「茶」で、「茗」はおそく採った番茶だということです(『角川漢和中辞典』)。

同窓会のもとになる学校ができたから「創基」で、その場所が「茗渓」だから「茗渓創基」なのか!?師範学校の後身、「東京高等師範学校」が大塚辺(茗荷谷近く)に移転したのは1903年で、そのずっと前から茗渓会は出来ていたわけですから、茗荷谷とは関係ないのですね。

つまり、“茗渓≒お茶の水”なんですね。茗荷でなくてお茶でした。確かに「竹茗堂」「堀井七茗園」とか、その字を含むお茶屋さんがありますね。

それなら、と、「茗渓学園」という中高一貫校(茗渓会が設立)を“お茶の水学園”と勝手に変換、新制大学「お茶の水女子大学」は“茗渓女子大学”でも良かったかな?などと、しばし脳内で遊んでみました。桜蔭会理事のなかには、お茶大受験の下見のときに御茶ノ水駅で下りてウロウロした方がいらっしゃることも思い出しました(下見のときで良かったですね~)。このあたりのネーミング事情は何重にも紛らわしいですね。

3,前号で、桜蔭会が茗渓会から独立したきっかけは、茗渓会男子委員の方から「男女会員の利害は一致しないので、この際分離するのが双方の利益ではないのか」という趣旨の発言があったから、と書きました。それについて、茗渓会の歴史に詳しい方から、いや、それは、女子高等師範学校卒業生に対する、労わり、配慮から発したものであって決して女性差別というようなことではなかったのだ、というご教示がありました。「女子は足手纏いである」と言った男子会員も、もしかしたらいたかもしれないが、決して本意ではない、と。

親戚のおじさまのように気にかかる茗渓会ですが、式典をきっかけにいろいろなことがわかって、茗渓会の歴史からも桜蔭会の歴史が浮かび上がるようで、興味深い経験でした。お茶大と筑波大は大学間連携協定を結んでいますので、同窓会同士も何かと交流があってもよいのかな、と思ったことでした。

桜蔭会 会長 髙﨑みどり