廣木双葉(昭60 史学科卒)


本年2月に奈良県吉野山塔尾山如意輪寺に楠木正行の辞世の歌碑を奉納致しました。

楠木正行(?~1348)は中世南北朝時代に生きた南朝の武将。同じく南朝の武将として有名な楠木正成の嫡男です。

正行は最後の合戦の前に如意輪寺の後醍醐天皇陵(注:後醍醐天皇は吉野に朝廷-南朝-を開きました)に参拝しました。
そして「返らじと かねて思へば 梓弓 亡き数に入る名をぞ 留むる」(現代語訳:今度の戦、生きて帰ることはないと前から決意している。だから死者となる自分の名を書き留めておくのだ)と辞世の歌を寺に残したエピソードが軍記物語「太平記」に記されています。
実際彼は直後の四條畷の合戦で戦死します。

私は史学科(現比較歴史学コース)出身で楠木正行に興味を持ち続け、研究や論文執筆を行って来ました。
如意輪寺にはたくさんの碑が奉納されていますが、この有名な辞世の歌の碑がない事を残念に思っていました。また吉野は桜の名所として有名で、特に春にはたくさんの人々が訪れます。しかし吉野にあった南朝朝廷および、そこにまつわる人々の歴史に意識を向けずに帰ってしまう方も多いです。如意輪寺のご厚意やご同意を得て、本堂のすぐ前というこの上ない場所に歌碑を献納できました。


日本最古の石碑は今から1300年以上前のものとされています。1000年以上とは言わなくとも今後100年、また数100年と碑が残り、一人でも多くの方に見て頂きたい。そしてご覧になった方に何かを残し、後からでもふと碑の事を思い出し、吉野や南朝の歴史に思いを馳せて頂けましたらこんなに嬉しい事はありません。

吉野においでの際にはお訪ね頂ければ幸いです。

所在地:奈良県吉野郡吉野町吉野山1024 塔尾山如意輪寺

*中外日報 令和7年3月5日号に碑の奉納についての記事が掲載されました

*奥河内ラジオ 令和7年4月25日「いきいきエブリディ」にて碑の事や正行について話しました