2022.5.31

5月29日に開催されたお茶大ホームカミングデイ式典 会長挨拶

皆様こんにちは。桜蔭会です。3年前から前会長の内田伸子先生のあと、会長職を拝命いたしました髙﨑:昭和48年国文卒、同50年大学院日本文学専攻修了です。

さきほどの佐々木学長のお話、母校の発展、進化を嬉しく伺い、幸せな気分になり、また、お茶大の卒業生であることにますます誇りが持てると想ったことでした。

母校はもうすぐ150周年を迎えますが、実は桜蔭会は母校より29歳も若いのです。東京女子師範学校は1875年(明治8年)創立、最初の卒業生33名は1879年明治12年です。本来ならここで同窓会ができてもよかったのですが、学生数が少数で、卒業後は地方に分散し、同窓として組織化することは難しかったようです。そのうち東京女子師範学校自体が東京師範学校に合併され、1885年、明治18年東京師範学校女子部となりました。東京師範にはすでに茗渓会という同窓会があったので女子卒業生も茗渓会に加入しました。その後東京師範学校が高等師範学校となり、そこから女子部が分離され(1890年 明治23年)、独立して女子高等師範学校となったあとも、同窓会は茗渓会に入っていました。その後いろいろあって、女子会員のなかに独立しようという機運がもりあがって、やっと1904年明治37年「桜蔭会」が発足したのです。

実に1879年明治12年最初の卒業生を出してから25年の月日が流れていました。この25年間には、女性の自立や連帯について真摯に議論をし続け、考え続けた先輩たちのいろいろな思いが一杯詰まっていたことでしょう。

卒業生といえば桜蔭会、なのですが、この役目についてから、同窓会というもののありかたについて考えさせられることがふえてきました。もうだいぶ前から、新入会員の伸び悩み、会費納入率の低下や財政の苦しさ、活動に参加できる会員が限定され、若い方たちは忙しく活動に参加する余裕がない、また吹き荒れるデジタル化の嵐への対処、などなど。そこへコロナ禍が襲いかかりました。

そんな中で母校に貢献することはもちろんだけれども、会員同士が楽しくすごせる、また独りでいてもどこかつながっているという気持ちをもっていただくのにはどうしたらよいだろうか、考える日々です。おりしものコロナ禍が、集うこと、言葉を親しく交わし合うことを一層困難にしています。

創立以来、関東大震災や第二次世界大戦などの惨禍を母校とともにくぐりぬけ、学校法人桜蔭学園設立や母校を大学に昇格させる運動への取り組み、桜蔭女子工学院設立、新制大学発足、大学院設置、等々にともなう募金活動、等々、先輩たちが成し遂げた偉業は数えきれません。最近ではコロナ禍に苦しむ学生さんたちへの支援をよびかけたところ、多くの会員から多大なご厚志をいただき、多くの学生を支援することができました。その他の各種給付型奨学金も長く続いております。桜蔭会の歴史をひもとくと、先輩方・会員の皆様のたゆまぬ母校愛に胸が熱くなる思いです。

しかし、母校がこれだけ発展・進化しつづけ、お茶大でとても質の高い良い教育を受けた私たち卒業生ですが、女性の働き方や就く職業も多様化し、家庭や家族の在り方も画一的ではなくなっているのに、何故かそうした変化は女性に不利なように働いてしまうという力学が作用することが多く、私たちもそのただ中で、悩み苦しまざるを得ない状況です。

男女格差・ジェンダーギャップ指数は依然として改善せず、やまないハラスメント、女性のおちいる貧困問題がクローズアップされる中、構造的要因も多いのに、個人の努力に任されたり、見当違いの施策がうちだされてごまかされていく・・・そんな中で誇りを持って人生を全うするのは、なかなか困難なことのように思います。

同窓会は何をしたらよいのか、同窓会に何かできるのだろうか。あるいは余計なことはしない方がよいのか。

あまり強すぎる連帯の押しつけには、くるっと背を向けられてしまう雰囲気のなかで、いったい何が受け入れられるのだろうか。手探りの日々は続きそうです。

具体的に桜蔭会が何をやっているのかということに関しては、どうぞリニューアルした地味におしゃれなホームページをご覧下さい。

先輩たちの築いてきた「桜蔭会」という文化――ゆるやかな結びつき、安心できるよりどころを受け継ぎ、より時代に沿ったものにしていこうとする桜蔭会のさまざまな試みに、どうぞ皆様のお知恵とお力をお貸し下さい。

長くなりまして失礼いたしました。これをもちまして桜蔭会からのご挨拶とさせていただきます。