2023.3.11

ご卒業、ご修了おめでとうございます。

4月から新しい場所や人間関係に移られるわけですね。いやいや、もう研修がはじまっているよ、というかたもいらっしゃるでしょう。そのまま勉学や研究を続けるかたもいらっしゃるでしょうが、やはり卒業式は大きな一区切りです。謝恩会や2次会(今年はあるのかな?)、先生や友人や仲間とのお別れも終わってほっとして眠りにつくとき、どんな思いがみなさんの胸に去来するでしょうか?

桜蔭会は卒業生の集まりなので、昭和から平成、そしてまだ少ないですが令和の“お茶大卒業後”のいろいろが詰まっています。いろいろな話が聞けます。

ひとつ言えることは、お茶大で学んだということに対する世間の評価は非常に高く、それにとまどいを感じたり、型にはめられるのは嫌だと感じたり、ひとによって反応は様々ですが、やっぱり出発点に立った時には心強いのではないか、ということです。そして、そうした高評価に見合うようにと努力して自分を高めようとするのも、お茶大生らしい気持ちの持ち方です。

そんな中、ひとつの囁きがきこえます。“自分の本当にやりたいことをみつけなさい(これが本当に私のやりたいことなんだろうか?)”。たしかにまだまだ多様性を認めない社会の中で疲れ果ててしまう時、“ほんとうにやりたいこと”というフレーズは魅力的です。でも、実際にそれは具体的には見つかりにくいものであることが、ある程度の年齢になるとだんだんわかってきますが。

“妥協せよ”とはいいません。ただ、若いうちは、いろんな生き方を、自分事としてじいっと見てください。本でも映画でもドキュメンタリーでもフィクションでも、隣にいる人の経験談でも、親の人生でも、想像力で入り込んでみてください。

職業の種類とか性別とか能力などの既成の枠組みで注視するのでなく、これらの登場人物の、言葉にならない“気持ち”の部分、高揚感や挫折感といった単純なものにおさまらない複雑な感じ方を、自分が経験したことのように想像して味わってみるのです。

説明しにくいのですが、例えば映画館から出るときに感じるあの気分、長編小説の最後のページから顔を上げたときの気分、というのが近いでしょうか。「自分の本当にやりたいこと」の答えがすぐに出なくても、いや、出ないからこそ、他の人生を経験したうえで、また自分に還ることができる。足元を別の目で見つめられる。そしてそれはいつか他者への共感や思いやりとなって、あなただけでなく、あなたの周りの人を幾分か楽にしてあげられるかもしれません。

私ですか?(聞かれてもいないけど)最近はよくこんな短歌に入り込んで、ぼーっとしてます。

かの時に我がとらざりし分去れの片への道はいづこ行きけむ

偶然見かけた、上皇后美智子さまの御歌です。

桜蔭会 会長 髙﨑みどり