2023.1.29

皆さま、本年も桜蔭会をどうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、昨年12月、着物に袴姿の女性のレトロな雰囲気の写真コピーが、役員の方から送られてきました。そこにつけられたキャプションに「御茶ノ水女子高等師範学校の制服に採用された秩父銘仙」とあったので「え~?銘仙が制服⁉」とびっくりしました。これは、埼玉歴史博物館が行った企画展「銘仙」(会期:令和4年10月15日~12月4日)のカタログにあった写真とキャプションいうことで、「坂善 坂本和禧」氏ご提供の写真だということでした。

お茶大150年(もうすぐ)の間には、それはいろいろなことがあっただろうと思いますが、私の中では竹久夢二の絵の女性がまとっていそうなモダンな色と大胆な柄、というイメージの銘仙が、“制服”とされていたということに驚いてしまいました。

写真はまだ許可をいただいていないので載せることはできませんが、色褪せてしまっているセピア色の濃淡の中にしっかりとした表情の女性が、髪をきりっと上げてまとめ、割合にはっきりした大きな花柄の着物に、襞がたたまれた長い袴を着けて堂々と立っているのが見てとれます。とても素敵。

そんなことを話題にしていたら、また別の役員の方から、卒業生の方のご著書に東京女高師生徒の服装に触れたところがあると情報提供がありました。それは大正8年から12年ころにお茶の水の東京女高師家事科に通われた黒田初子氏(明治36年生まれ)の著書で、その部分を引用させていただきます。

あのころの女子学生の服装は和服に袴、靴でした。袖は現在の着物くらいで元禄袖ではありません。髪は長髪を頭のテッペンで丸めていました。カラーのテレビドラマの影響でしょうか、あるいは現在の女子大生の卒業式の袴姿のせいでしょうか、大正時代の女子は美しい和服で、薄化粧などと思われがちですが、私たち女高師の生徒はこれでも若い娘かと思われるような細い縞模様の着物に、紺色または濃い海老茶色の襞を折り畳んだ裾まである袴をはいていました。現代の感触なら、七、八十歳の老婦人が着るような和服でした。少し花模様の入ったくすんだものを着てもクラスでは目立ってしまうくらい、全体に地味な装いをしていたのです。
(黒田初子著『お料理のレッスン七十年』草思社 1996年)

こんなとき、つい頼ってしまう フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、「銘仙」というのは、「元々は、主に関東や中部地方の養蚕農家が、売り物にはならない手紬糸を使用して自家用に作っていた紬の一種であった。江戸時代中期頃から存在したが、当時は『太織り(ふとり)』『目千(めせん)』などと呼ばれ、柄は単純な縞模様がほとんどで、色も地味なものであった。」とあります。つまり銘仙は銘仙でも、縞模様の地味なものを黒田初子氏のころの女高師の先輩たちは着ていたのかもしれません。

先にあげた埼玉歴史博物館の「銘仙」展覧会紹介文のなかには、

手頃でおしゃれな絹の着物「銘仙」。明治40年代に広まった「ほぐし織」の技術により、色鮮やかな模様銘仙を作ることが可能となりました。戦前の女性たちは、よそゆきの着物として銘仙を着て出かけたようです。
銘仙には、伝統的な模様のアレンジや、流行の事物、抽象柄など様々なデザインが取り入れられました。また、化学染料の普及により、それまでの着物にない色調の銘仙も登場します。

とあり、秩父の他、足利や伊勢崎など、蚕糸業や絹織物産業の盛んな地域で生産されていたようです。

また、銘仙については最近若い層に人気が出てきたこともあるからか、いろいろな方々が関心を寄せており、日本家庭科教育学会大会で「大正期から昭和戦後期の大衆向け着物『銘仙』に関する考察」(放送大学広島学習センター 柴 静子氏 2018年)といった研究発表もされています。その「要旨集」には「銘仙の大きな特徴は、アール・ヌーボーやアール・デコの影響を受けた、まるで絵画といってもよいデザインにある。ボストン美術館、ミネアポリス美術館などの海外の美術館には、相当数の銘仙が収蔵されているが、それらのデザインの多くはこの範疇に入る。」といった指摘がなされています。

とすると、大正頃の世の女性たちが華やかでモダンな銘仙を愛用していたころ、女高師の学生たちは「細い縞模様」?それでは、この写真の華やかな花柄はどういうわけ?…と、もう一度写真の方にじっと目を凝らすと、あれ?ベルトがある!?かすかに真ん中に徽章の金属のような部分がついたベルトのようなものが、袴の上部に見えます!

そういえば、現在のお茶大附属中学校の女子の制服は、セーラー服に徽章付きのベルト着用ですが、それでは、この写真の銘仙の“制服”は、昔の「東京女子高等師範学校附属高等女学校」(注)の制服であったのでしょうか。これで謎が解けたような?  今までなんとなく“はいからさん”のような矢絣模様のイメージで、女高師の先輩方を想像していたのですが、もっと大人な、地味な縞の銘仙の先輩方にも大共感!です。

新年早々から“謎”解きにおつきあいさせてしまって、どうもすみません。
そんなこんなで、「120周年に想う」皆様のエッセイを募集中です。是非お寄せください。

注:昭和22年の学制改革の結果、東京女子高等師範学校附属高等女学校は、お茶の水女子大学附属高等学校と附属中学校に分かれました。

桜蔭会 会長 髙﨑みどり